異説 醤油の「むらさき」 


「キッコーマンと妙見」 


キッコーマンと妙見の関り=キッコーマン株式会社社長「茂木家」の先祖

野田の醤油醸造家が、合同して「野田醤油株式会社」を設立し
後に「キッコーマン株式会社」となる。
その醸造家の一つの「茂木家」

郷土史資料から。「野田の郷土史」他

茂木家」は
美濃土岐氏の一族で、上総国万喜(木)城主の後裔とされる。
城主三世土岐頼春は、安房の里見氏と戦をして、負け
弟の万木(真木)頼徳と、一時身を隠した後
豊臣に仕えた。

「寿覚院盛林妙夏大姉」
茂木家の始祖とされる女性。
豊臣家側の随身、真木頼徳の側室

「大阪夏の陣(1615)」において頼徳が戦死したので、
その女性は徳川からの豊臣残党狩を逃れるために、各地を放浪した後、
落ちついた地が野田である。
真木」という姓を改め「茂木」とする。
初代、茂木七左衛門。 (茂木総本家)

1662年頃から、野田で味噌作りを始めた。
後に醤油に転換。

野田での醤油醸造を最初に起こしたのは飯田家とされるが
年代が記録されているのは
1661年の高梨家の醤油醸造業。


土岐氏の守護神妙見尊の祭礼を一名万木祭とも称している

茂木=万木で、ご先祖は妙見信仰をしていた土岐氏

よし、妙見と繋がった。ここだけ

あとは、はっきりと妙見と名乗るものは無い

……

茂木家というのは
この野田で、300年以上続く醸造業の経営者の家でもある。

・吉原の茶屋を買いきり、問屋などに派手な接待をしてから
「むらさき大臣」と呼ばれる。
・自家用蒸気船で、江戸川を走りまわって宣伝。
・ウイ―ン、パリなどの各地の万博に出席して宣伝。
・醤油醸造の新しい技術開発にも力を入れる。

他の羽振りと活躍の良さは、キッコーマン社の本で。
良い事は漏らさず掲載されている。


現実の経営戦略に長けてる家筋だと、資料を読みながら思ったが
こういう人達も輩出している。

・讃岐の金毘羅神社に行ったニ代目茂木七朗右衛門
 「割香」という荒行(腕の肉を割いて、そこに香を詰めて火を点す)をして
 野田に琴平神社を置く。
・愛宕神社では「木白霊神」として奉られる、初代茂木房五郎
・愛宕神社側の「勝軍地蔵尊」を建立した、初代茂木啓三郎
・釈迦堂がある公園の名前も「茂木佐公園」

痛いというか熱いというか金があるというか
厚い、信仰に。


そういう体質を知ると、
気になる事がある。

初代茂木七左衛門は、醤油の商標に
「三光印・山七印」を使った。

「三光」は文字を多少デフォルメしたものである。
(商標のため、掲載せず)
山七印については今の所、どういうものか資料が見つからないので保留とするが

三光」 
神道・仏教などで日・月・星を意味する言葉である。
光は星、と解釈する事が多く
天においては、太陽と月と星。
星といえば、宗教マニュアルで不動の地位を占める北極星を指す可能性も高い。

茂木七左衛門」という名前は代々継いでいく名前。そこに
商標には日・月・星が入っている。(邪推
邪推抜きでも茂木七朗治氏邸を「七店さん」と呼ぶなど七と縁はありそうである。

 

今現在の「キッコーマン」は「亀甲萬」であり
 ←六角形の亀甲紋に「萬」の字を入れたものが商標。

茂木佐平治の四代目から使用されたもの。
その前から亀甲紋に「萬」ではない文字を入れたものを三代目から使用。
なお、亀甲の紋は、香取神社関連から使われたという由来有り。


キッコーマンにおいて主流の茂木家と、妙見の繋がりは先祖のみ、と
「妙見」だけにこだわった時は、そこで終わってしまったのだが。
(最初は星神社関連しか頭になかった)

後に知った、仏教の
「天台宗」

天台宗の中に、妙見菩薩が居る。

天台宗の修法の中には
北斗七星や北極星を利用したものが出てくる。


天台宗と野田の醤油はとても縁がある。
もちろん「茂木家」も。



「天台宗と野田の醤油」へ続く。

異説・醤油のむらさき   4    8

トップ    野田市   流山市   柏市

inserted by FC2 system