津久舞  無形文化財  郷土芸能

野田市 西光院の庭・茂木佐公園・キッコーマン醤油本店前の広場のどこかで
年一回。  (本文取材 2001年7月14日、PM8:10より。  追加写真 2009年7月18日 撮影)


津久舞とは、雨乞い神事の舞

蛇を、「くつわ」という金具でがんじがらめにしておいて、その側でカエルを舞わせる。
蛇はカエルを食べようとするが、動けない。
それで蛇は怒って、雨雲を呼び、雨を降らせようとする主旨。

雨が降ったら普通、カエルが喜ぶと思いませんかという
蛇の怒りに水をさすような考えは置いて。

   

↑津久柱。
これが蛇(蛇足のように見える十字形)。
白いもので覆われているので、白蛇を連想させる。

頂上には醤油樽が中に仕込んであるらしい。
その醤油樽の上で、カエルの舞い人が
逆立ちしたりする。高さ 約16メートル


↓これがカエル。
舞い人の名称、重次朗。

←柱に登り、舞う重次朗

 重次郎オプション一式 →
 ・カエルの面
 ・衣装
 ・破魔弓・矢

↑行く時は登り、

カエルが頂上部にいる時に、四本へ破魔矢も射る。



北東南西の四方にいる悪い物を祓う、という意味らしいが
下で見ている見物客に向って放つ。
(見物客が矢を拾うと、縁起モノ)

↓帰りは柱から張られたロープで滑って降りてくる。





1802年(亨和二年)の夏の大旱魃の際に行われた雨乞い行事が
野田の津久舞の原形らしい。

1818年(文政元年)愛宕神社の祭礼の際
初めて「津久舞」として演じられるようになった。

と、資料の上で200年ばかりの由来を経て行われる雨乞い行事。

カエルの重次郎役が墜落死するという事故があって
一端中止になったが、昭和8年7月18日復活。

しかし昭和14年に再び途絶えて
昭和29年に、無形文化財として、教育委員会によって復興
という歴史を経る。


今年行った時は、夜の9時頃に終了。

年配の方が「子供のころは、明け方まで御囃子が聞こえて
やってたみたいだよ。
宵津久から明け津久と言って」という事を教えてくれた。

今の時代、そんなに遅くまで続けてたら、苦情が来るか。

 

用語のトップ   トップ   野田市   流山市   柏市


inserted by FC2 system