聖徳太子と太子堂
野田市上花輪 東武野田線野田駅より徒歩 多少歩く
木彫り装飾が、それなりに凝ってます。
「何で千葉県野田市に聖徳太子が?
確か奈良の人だったよな……」
と、不勉強のお陰で簡単に行き詰まる。
図書館で醤油関連を調べていると
「野田醤油業者の樽職人などの間で、聖徳太子を信奉することが流行る」
とあるではないか♪
最初にここで聖徳太子を奉ったのは野田の名家、高梨家。
1220年、親鸞という坊様が高梨さん宅に逗留して、お礼に聖徳太子像を置いていったのが
始まりという。
親鸞のお伴をしていた西念という坊様が、ここに残って西念寺を建てる。
その西念が長生きしたので名前を長命寺に変えたとか。
太子堂はこの長命寺の境内に在る。
1805年に聖徳太子堂を高梨さんが再建すると
上野寛永寺が「高梨さんは仏法を尊ぶ良い奴だ」と幕府に報告し、
高梨家の醤油(後のキッコーマンファミリーの一家)が幕府御用達になるきっかけとなった。
現在キッコーマン醤油は宮内庁御用達である。(これでは宣伝状態)
上記で疑問に思った聖徳太子は、ちゃんと信仰形態があった。
「太子信仰」という形で、既に色々と研究されている。
「聖徳太子を奉る太子講は江戸時代以降、大工など木に関わる職人に信仰されていた」
だから樽職人も奉るわけで。
ここでは聖徳太子は職人の守護神という位置付け。
近くの地名には太子堂団地という地名もあって
今も信仰の歴史の跡を残している。