流山市鰭ヶ崎 雷神社のおびしゃ
流山市 流山電鉄鰭ヶ崎駅より徒歩 見学日時 2000年1月20日(木) 午後2時 2008年1月20日(日)的射ち 午後3時半
2008年1月20日撮影
拝殿内で、祝詞奏上などの神前行事の後、
スーツ姿・裃姿・七福神の格好をした18人前後の人たちが、鬼の顔を書いた的に矢を放つ。
←的 (2000年)
←弓矢
的の作りは、新聞紙の台紙に、白い和紙を貼り、その上に鬼の顔貼りつける。
青鬼の台紙は競馬の記事、赤鬼は何の記事か不明。(そこを見るな)
使った弓矢。弓の上のピンクと白い丸いものはティッシュで作った花。
羽は厚紙にマジックで羽筋を書く。手作り物。
そのため正確には飛ばすのは難しい。
鬼を射って豊作祈願というものだが、途中まで誰も射ぬけない。
「豊作はどうなる…」と氏子がぼやく中、七福神の一人が赤鬼ヒット! だが青鬼は無傷だったような。
その後は直会があり、
夜になると、飾り付けた山車 ↓
←(酒樽や味噌樽を積んでいる)
その車と七福神達で、付近を練り歩く
「送り込みの儀」があるが、的射ちだけ見て帰る。
「おびしゃ」という行事は関東各地に伝わる正月の行事。
鰭ヶ崎では七件が当番となり、行事を運営。
かっては備社田という共有の水田を当番が耕作し、費用を賄っていた。
現在は
1月20日に祭礼を行った後、鬼に向かって矢を射る。
始まったとされる年は享保年間(1716〜1736)。
関東一円におびしゃは広く伝承されているが(このHP・流山赤城神社のページでも少し触れる)
弓射ちと神楽が残されているここのおびしゃは貴重。
(他のおびしゃでは食事会で終わる所も)
御祭神については特に表記が無い。
「この辺は昔、田んぼだったので、雨とか天候に生活が左右されやすく、
雨を引き連れてくる雷がありがたいから、雷様」という話を聞いたことが。
家紋は三つ巴。(画像でつぶれてますが、裃姿の白い袖に黒い点が三つ巴)
末社が何社かあったが、御祭神が判明したのは疱瘡神の社が一つ。
参考資料 雷神社境内の看板 「参観者配布用」2008年配布紙