野田の労働争議
「昔、野田でストライキが起きて大荒れしたことがあった」
の「大荒れ」としか聞いたことの無かった争議だが
最近、関連書物を見つけて読んでみた。
昭和2年。この時点で世界一長いストライキだという。
昭和2年9月〜昭和3年の春、約八ヶ月に及ぶ。
野田醤油会社対、労働者による争議団。
結果からみると
(※このページの参考資料・関連書籍は昭和3年発行であり、旧仮名使い、旧漢字が使用され
私が読み違えている可能性が無いとはいえません。ので鵜のみにされないで下さい)
損害 | ||
会社側:200万円以上 | 争議団:50万以上 | 昭和2年当時 |
双方の犠牲者 | 179人 | (死傷不明) |
検束者 | 553人 | |
復職 | 342人 | |
解雇 | 700余人 | (参考資料:野田血戦記) |
何が起きたかというと
日付 | 出来事 | 結果 |
昭和2年 4月10日 |
工員代表が 労働改善の要求書を 会社に提出 |
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〃 9月15日 |
十七ある工場の 第十七工場のみ不参加にて 争議(ストライキ)開始 |
第十七工場も争議団監視員 のため、出勤を妨げられ 作業中止 |
9月27日 | 第十七工場作業開始 | |
9月28日 | 竹槍事件 第十四工場付近で隠れて 竹槍政策していたのを 警察が押収。 |
竹槍七十四本、人員十四人押収 |
9月30日 | 竹槍事件より146人の解雇 | |
10月 5日 | 清水八幡野精米所から失火 | 二棟焼失。放火の疑い |
10月 7日 | 第三工場作業再開 | |
10月 9日 | 出勤する工員の車の前に 争議団員、立ち塞がる |
負傷者出る |
10月12日 | 争議団に対する「正義団」 結成 |
野田醤油会社と営業上の 関係をもつ商家などで結成 |
10月13日 | 野田劇場・野田キネマニヶ所で 会社糾弾演説会 |
十数名検束者が出る |
10月16日 | 第九工場作業再開 | |
10月17日 | 会社側暴力団員、争議団員を 車にて拉致、脅迫。 |
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10月19日 | 第十五工場作業再開 | |
10月28日 | 争議団側の兵糧となる 購買組合の在庫を 会社側が押さえる。 |
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10月29日 | 第十工場 新工員を雇って 作業再開 |
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第一、七、十二工場 作業再開 |
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第四、十工場の工員 殴打され負傷 |
犯人不明 | |
11月10日 | 会社員二名争議団により 殴打される |
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組合員脱会続出 | ||
11月20日 | 第十四工場再開 | |
11月29日 | 第六、八、十三工場再開 | |
11月30日 | 第四工場付近で暴力沙汰。 各所で社員など襲われる。 |
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12月 1日 | 第六工場に300人ほど 争議団押し入る |
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ポスターの貼り合い、 剥がし合いが続く |
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12月7.8日 | 糞尿事件 正義団、団長、団員宅に深夜、 糞尿が 争議団により蒔かれる。 |
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12月 9日 | 常務取締役宅に 投石 |
二名逮捕 |
12月11日 | 会社側が暴漢約四十名を 引き連れ、行徳支部破壊 争議団一名負傷 |
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12月12日 | 夜警夫二名争議団に襲われ 負傷 |
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12月17日 | 小学生盟休決議 | |
735名一斉解雇 | ||
12月21日 | 建国会と争議団の大乱闘 | |
12月28日 | 人事係長の父が硫酸を かけられる |
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12月30日 | 第一工場の物置兼豚小屋 から出火 |
放火の疑い |
昭和3年 | ||
1月 9日 | 町内家屋に投石 | 犯人不明 |
1月14日 | 大騒憂事件 争議団、町内目抜の場所へ 投石。家、町家、会社関係の 商家などに |
検束者八十名 |
1月17日 | 小学生約500人のデモ | |
1月20日 | 県会議員選挙 | 会社側当選。 争議団側落選 |
1月26日 | 争議団の妻女、松戸に 訴えに行こうとするが発覚 |
代表七名のみが行き あとは帰される |
1月26日 | 会社顧問が 硫酸をかけられる |
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1月27日 | 女房連、社会局を訪ねる | |
1月30日 | 野田町長 出勤中、人力車ごと ひっくり返される |
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2月 2日 | 野田劇場にて調停役松岡氏と 争議団、緊急総会 「要求条項の一切を撤回し、争議の 解決を白紙をもって松岡氏に一任」 |
会社側との会見の前に 新聞社に公表。 会社側は「会見内容を公表しないと いったはず」と非難 |
2月 6日 | 重要会議開かれる。 争議団三名、暴力団に襲われ 重症 |
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2月 8日 | 重要会議二回目 | |
2月13日 | 重要会議三回目 | |
2月23日 | 町会に争議団暴れこむ 会社側に有利な発言をした議員を 殴打 |
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2月25日 | 町会再開 | |
2月26日 | 重役邸に瓦礫が投げ入れられる。 会社による新工員募集に応じた 青年、争議団に襲われる |
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2月29日 | 第三工員、争議団により 負傷 |
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3月 1日 | 非組合員、刃物で切られる。 会社側運送店人夫、殴打され重傷 第十三工員に投石 |
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3月 3日 | 第十五工場職員宅 襲撃される。 薬店などのガラス戸破壊 |
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3月 5日 | 第十七工員殴打される。 第四工場、塀を破壊される。 |
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3月 8日 | 第八工員二名負傷 | |
3月10日 | 第十二工員一名、争議団により 負傷 |
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3月15日 | 第十二工員一名、争議団により 負傷 |
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3月18日 | 第十七工員宅、襲われ破壊。 争議団、暴力団に襲われ負傷 |
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3月19日 | 農民、争議団により負傷。 第十五工員宅破壊される。 暴力団と争議団の争い有り。 |
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3月20日 | 直訴事件起こる。 争議団副団長、東京駅前にて 天皇に直訴。 第十工員宅、争議団により 破壊される |
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3月21日 | 第十五工員宅破壊される | 犯人不明 |
3月22日 | 第十七工員殴打される。 暴力団と争議団の争い有り |
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3月24日 | ストライキしていた小学校の 卒業式 |
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3月29日 | 第十七工員三名、争議団より 脅迫される。 第十四工員一名負傷。 農民一名重症 |
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4月 2日 | 三回目の硫酸事件 工場作業主任が被害に |
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4月 4日 | 第一、十七工場職員宅 三軒襲撃される。 一件放火される。 |
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4月 6日 | 第一、九、十三工員宅 家財破壊。 第十工員の家族一名、争議団により 重症 |
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4月 7日 | 煙草の苗床、争議団により 荒らされる |
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4月 9日 | 争議団幹部、町会議員 千葉県庁に、町長・助役・小学校 校長の引責辞職の決議書提出 |
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4月10日 | 第七工場で破壊、暴力騒動あり | |
4月12日 | 第九工場職員の家族一名打撲傷 | |
4月13日 | 愛宕神社前で工員と争議団 のケンカ 会社側運送人夫、争議団により 重症 煎餅屋、争議団に殴られる |
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4月14日 | 第三工員宅雨戸破壊され 中の家族三名殴打される |
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4月19日 | 会社側、争議団 調停に近づく |
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4月20日 | 争議終了 | |
4月21日 | 第十二工員二名ケガ | |
4月24日 | 第九工員一名ケガ | |
参考資料 「野田醤油争議」日本社会問題研究所編 その他 |
「大荒れ」の一言の中に、これだけのこと。
こんなにあっては説明も大変だ。
今回は野田での騒動を中心に資料をできるだけ拾ってみた。
約70年前のこと
通勤手段に人力車を使用したのかと、生活の歴史もちょっと見える。
他の仔細など、まとめられれば後日追加。