「こんなごつい名前だったのかー」 というのが調べ始めた第一印象。
地元では布施弁天。もしくは曙山の弁天さんで通じる。
←楼門(龍宮造り)。
寺だけど、鳥居(靖国鳥居)もあります。
昔、お参りしたときにお備えに卵が。 「何で卵を供えるの?」と供えている婦人に聞いた。
「何でだろうねぇ……」遠い目で返事されたな。 答えは大人になってから分かったよ……
弁天さまの御使いは蛇。 蛇は卵が好きだという。
大開帳とやらも蛇と絡む。(言い伝えだけけなく現地では”蛇が出るので注意という看板もある)
平成13年といえば干支の蛇年・巳已の年。
60年に1度というので、見たいが今の時点では秋、としか知らない。詳しいことはこれから調べます……
と書いた数日後、弁天様のところ行ったらな平成13年11月に12年に1度のご開帳」というておったな。
60年はどこだ。
このごつい名前は 1705年、真言密教の東海寺が、弁天さんのいる境内に引っ越して
一体となったことから長い名前に
紅龍山とは。由来。 大同2年(807年)7月7日の朝
島を造った。そのため天地が振動して、夜な夜な不思議な光が射したと。
今は昔話として呑気に聞けるが、当時の住人はパニック起こすような事態だ。
(←御開帳の祭の出し物に紅龍01.11.3
ある時、パニックは起こしたかは記されてない村人が、夢のお告げで”尊い御像”を 紅龍が作った島で見つける。
但馬の国朝来郡筒江から来たという天女の夢。
村人はその像を奉り、藁葺きの小祠を建てた。
そのころここに、弘法大師がいた。
村人の祠の話しを聞き、その像を見る。「これは私が筒江で彫った尊像だ」と言う。
そうなると弘法大師は寺を作っちゃうし、山に紅龍と名前付けるし
天女の利益にあやかろうと村の名前に布施と付ける。
そして京都に帰るとこのことを嵯峨天皇に報告と。 さすが弘法大師、スケールが違いすぎる。
この豪華さで、今では関東三弁天(江ノ島・上野不忍池)の一つとして信仰を集めている。
見つけた村人は偉い
少しだけ平将門もここに関わる。 931年〜938年の将門の兵火で伽藍が焼けた。
鐘楼。
この鐘楼の装飾の中に、「籠が破れてる」彫り物がある。
かごめ歌の 「かごの中の鳥は いついつでやる」 歌の解釈に、引用されるケースもあり。
似たような図の彫り物が、野田市の愛宕神社にもある。